四日市 五色湯思い出アルバム

 

去る4月30日、四日市の五色湯さんが惜しまれながら
閉店されました。
こちらでは閉店が決まってから脱衣所に置かれた
創業時からの写真を収めたアルバムをお借りして
その一部を紹介させていただきます。

 

 

 

 

 

←倉庫から出てきたという昭和40年代の暖簾

. 昭和30年代創業〜44年

白黒の写真には極彩色に慣れた現代からは
なんとも言えない味わいを感じさせてくれます。


 

 

昭和44年〜49年

写真は昭和49年頃と思われます。
ガレージにはシビックかアコードと思われる
HONDAのハッチバック車がとまっています。

この時代は風呂場に鯉の水槽を設置し
喜んでもらっていたとのこと。
この鯉たちも取り壊しが決まり、市内桜の池に
放してやったとのこと。
 

 

昭和49年〜57年

五色湯さんは改装の間隔も早く、また導入された
富士山のタイル絵や人間洗濯機などは
お客さんに喜んでいただき他の銭湯に
先んずるという店主の思いが込められています。

 

昭和57年5月
マンガタイル絵とラドン風呂導入

富士山タイル絵に続いて動物の絵が描かれた
タイル絵が導入されました。
アルバムにはデッサン画も残されており
ドラえもんやダンボなどがありましたが
最終的にはこちらで落ち着いた様子。

またラドン風呂にはアルミホイールを使用して
その中に鉱石を入れるというアイデアです。

昭和59年

あとの写真にもあるように脱衣所から浴場まで
全面改装が行われました。

平成元年〜最終

平成元年10月〜12月の工事で富士山のタイル絵が
タイルの下に隠され、浴槽も淡いピンクの円形の
ものになりました。
ラドン風呂は顆粒状の鉱石となりよく温まると
評判。ここまで改修に資金を拠出したのに
富士山がなくなったと見ると前のほうがよかったと
言われショックを受けたとのこと。

富士山のタイル絵の写真は番台の前に
飾られていました。
 

昭和59年の大改装の工事行程です。
京都の銭湯専門の職人さんが泊まりこみで
作業されたそうです。

右は完成を祝っての職人さん達の
記念写真です。

4月のある日、ふと脱衣所を見ると閉店の貼り紙が。

ご近所さんから、銭湯の客が歩道駐車して子供が
危ない目に遭わされていると苦情の手紙が
貼ってありました。

その後はお客さんにみてもらおうとアルバムが
用意してあったり、随分前に使用していた暖簾を
最後だからとかけてあったり。

店主の銭湯やお客さんへの気持ちが伝わってくる
そんな心遣いだったと思います。

 

 
閉店後、アルバムをお借りするためにお邪魔しました。
ロッカーは透明窓で工具などを収納するのに
便利だからと引き取られ、まだ使える部品は京都の
専門業者の方がひとつひとつ丁寧に外されています。

取り壊しが近づいていますが、一箇所だけお風呂を
沸かして入っているとのこと。
 

いよいよ解体です。一枚はがすとなんと創業時の姿が
その下から現れました。
※一番上の写真と見比べてください。

解体業者は黙々と作業をしています。あと幾日も
しないうちにこの場所はかつて銭湯があったとは
わからない駐車場になります。

駐車場に苦しんだのに駐車場を経営するなんて、と
以前お邪魔した際におかみさんははにかんだような
笑顔でお話ししてくれました。

店主の愛情がいっぱい詰まった銭湯でした。
今までありがとうございました。